⽇本⼑の⼼( ´⾋`)
その昔…
ケンサンは
坂城の⼑匠
宮⼊さんの元を
訪ねたときがありました……(>_< )
宮⼊さん
その節は
⼤変お世話になりました(>_<)ゞ
下の⽂章は
Webからの
張り付けであります( -_-)
許してくださいまし_(_^_)_
菊⼀⽂字(きくいちもんじ)は
新撰組沖⽥総司(おきたそうじ)が
使ったといわれる⼑だ が、
現実には
菊⼀⽂字(きくいちもんじ)は
存在しない。
実際には
則宗(のりむね)と呼ばれる
(福岡⼀⽂字派の
⼑⼯がつくった、
⽇本⼑、
⼀⽂字 則宗(いちもんじのりむね)
という⼑をモデルに創作さ
れた幻の⼑が
菊⼀⽂字(きくいち もんじ)である。
このモデルになった
則宗は鎌倉時代の⼈で
福岡⼀⽂字派といわれる
⼑⼯の祖であるが、
後 ⿃⽻上皇の御番鍛冶
(後⿃⽻上皇に召されて、
1か⽉ずつ院の御所に
上番した諸国の⼑ ⼯。
何⼈かいる)
を務めたことから、
後⿃⽻上皇が
定めた皇位の紋である
菊紋を銘に⼊れ ることを
許されたひとであった。
そのため、
「⼀⽂字」に「菊」の
⾔葉が付け⾜され
菊⼀ ⽂字(きくいちもんじ)
という名前ができあがった
ようだが、
菊⼀⽂字と⾔う銘の⼑は
実 際には存在しない。
現存する
則宗の⼑の中に
菊の銘のはいったものは
確認されていないの である。
後世の⼈々が
御番鍛冶の筆頭を務めていた
則宗だから菊⽂を切ったに違いないと
考えた為 に、
則宗の⼑が
菊⼀⽂字と呼ばれるように
なったのではないかと思われる。
沖⽥総司は
実際に菊⼀⽂字をつかったか︖
鎌倉時代の
則宗の作であるが故に、
⼀⽂字の⼑は
江⼾時代では
既に年⽉を経て美術品
とし て扱われており、
幕末では
国宝級の価値で
扱われていた。
故に
沖⽥総司使⽤の⼑として
知 られてはいるが、
実際には
既に⾼価値になっていた
菊⼀⽂字を
⼀介の武⼠であった沖⽥総 司が
持っていたとは考えにくく、
記録⽂書などから
沖⽥は
「加州清光」(かしゅうきよみ つ)
という⼑をつかったという
記録がある事から、
菊⼀⽂字を
沖⽥が使ったというのは
創 作である可能性が⾼いとされる。
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