⼤⼯のケンさんブログ2012/11/20

大工のケンさん(過去HP分) 

⽇本⼑の⼼( ´⾋`)

その昔…



ケンサンは

坂城の⼑匠

宮⼊さんの元を

訪ねたときがありました……(>_< )

宮⼊さん

その節は

⼤変お世話になりました(>_<)ゞ


下の⽂章は

Webからの

張り付けであります( -_-)

許してくださいまし_(_^_)_


菊⼀⽂字(きくいちもんじ)は

新撰組沖⽥総司(おきたそうじ)が

使ったといわれる⼑だ が、


現実には

菊⼀⽂字(きくいちもんじ)は

存在しない。


実際には

則宗(のりむね)と呼ばれる


(福岡⼀⽂字派の

⼑⼯がつくった、

⽇本⼑、

⼀⽂字 則宗(いちもんじのりむね)

という⼑をモデルに創作さ


れた幻の⼑が

菊⼀⽂字(きくいち もんじ)である。


このモデルになった

則宗は鎌倉時代の⼈で

福岡⼀⽂字派といわれる

⼑⼯の祖であるが、


後 ⿃⽻上皇の御番鍛冶


(後⿃⽻上皇に召されて、

1か⽉ずつ院の御所に

上番した諸国の⼑ ⼯。

何⼈かいる)

を務めたことから、


後⿃⽻上皇が

定めた皇位の紋である

菊紋を銘に⼊れ ることを

許されたひとであった。


そのため、

「⼀⽂字」に「菊」の

⾔葉が付け⾜され

菊⼀ ⽂字(きくいちもんじ)

という名前ができあがった


ようだが、


菊⼀⽂字と⾔う銘の⼑は

実 際には存在しない。


現存する

則宗の⼑の中に

菊の銘のはいったものは

確認されていないの である。


後世の⼈々が

御番鍛冶の筆頭を務めていた

則宗だから菊⽂を切ったに違いないと

考えた為 に、


則宗の⼑が

菊⼀⽂字と呼ばれるように

なったのではないかと思われる。


沖⽥総司は

実際に菊⼀⽂字をつかったか︖


鎌倉時代の

則宗の作であるが故に、


⼀⽂字の⼑は

江⼾時代では

既に年⽉を経て美術品

とし て扱われており、


幕末では

国宝級の価値で

扱われていた。


故に

沖⽥総司使⽤の⼑として

知 られてはいるが、


実際には

既に⾼価値になっていた

菊⼀⽂字を


⼀介の武⼠であった沖⽥総 司が

持っていたとは考えにくく、

記録⽂書などから


沖⽥は

「加州清光」(かしゅうきよみ つ)

という⼑をつかったという

記録がある事から、


菊⼀⽂字を

沖⽥が使ったというのは

創 作である可能性が⾼いとされる。

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