⽊の⼒(`Д´)
ケンサン達は
ずーっと⻑い間、
⽊綿(もめん)と
⽊の中で
暮らしてきやした
(^^)v しかーし!!!!(`Д´)
⽇本国⺠は
明治以降それを捨てて、
新しいものへ、
新しいものへと
⼈⼯材料を
追い掛けてきたやした!!!(><)
それは
天然材料よりも
⼈⼯材料のほうが
優れていると
信じたからで
あったようです♨♨(・ω・)
だが、
今!
明治百年の体験を経て、
鉄は万能ではないし、
コンクリートは
永久的な材料ではないことが、
ようやく分かってきた!
それが
⽊を⾒直そうという
動きを⽣んだのであるが、
それよりも
もっと⼤きな理由は、
鉄やコンクリートには
⼈の⼼をひき付ける
何かが⽋けていることに
気が付いたからで
ありやす!!! (><)ゞ
⽊綿や⽊に
囲まれていると、
私たちは何か
⼼の和むのを覚える。
それは
これらの材料が
かつては⽣き物であって、
その⽣命のぬくもりが
⼈の肌に、
ほのかな体温を伝えてくれ
るからである。
⼀般に、
鉄やプラスチックのような
材料は、
新しいときがいちはん強く、
古くなるにつれて
弱くなる!!!ヾ (≧∇≦)
機械も同じで、
性能は年代とともに
ほぼ直線的に
下がっていきマッスルヽ(゚Д゚)ノ
ところが
⽊はいささか事情が
違っているのであーる!!!!!
今、
千三百年たった
法隆寺のヒノキの柱と
新しいヒノキの柱とでは、
どちら が
強いかと聞かれたら、
それは 新しいほうさ、
と答えるに違いない!
♨(ノД`) だが、
その 答えは
正しくない(ノ-“-)ノ~┻━┻
なぜなら、
ヒノキは、
切られてから⼆、三百年の間は、
強さ や剛性がじわじわと増して
⼆、三割も上昇し、
その時期を過ぎて後
、緩やかに 下降する。
その下 がりカーブの所に
法隆寺の柱が位置していて、
新しい柱とほば 同じくらいの
強さにな っているからで ある。
つまり、
⽊は
切られたときに
第⼀の ⽣を断つが、
建築の⽤材として使われると
再び第⼆の⽣が始まって、
そ の後、
何百年もの⻑い歳⽉を
⽣き続ける⼒を
持っているのである。
無垢の⽊なら
集成材でもいいの︖︖︖︖
最近になって、
⼀つの疑問が
持たれ始めてきたように
感じるデあります!!!(゚▽゚)ノ
それは
⽊というものは
⾃然の形のまま使ったときが
いちばんよくて、
⼿を加えれば加え るほど
本来のよさが
失われていくのではないか、
という反省であります(;¬¬)
考えてみる と
それは当たり前の
ことだったかもしれない。
⽊は
何千万年もの
⻑い時間をかけ て、
⾃然の摂理に合うように、
少しずつ
体質を変えながら
出来上がってき
た⽣き物だったはずである。
⽊は⾃然の⼦で、
そのままが最良なのである。
だから
⽊を構成する細胞の
⼀つ⼀つは、
寒い所では
寒さに耐えるように、
⾬の 多い所では
湿気に強いよう
に、微妙な
仕組みに造られている。
あの
⼩さな細胞の中には、
⼈間の知恵の
はるかに及ばない
神秘が潜んでいると
⾒るべきであろう( ̄ー ̄)
それを
はいだり(`ε´)
切ったり(`Д´)
くっ付けたり
(`Д´)
するだけで、
改良されると
考えたこと⾃体、
近代科学への
過信だったかもしれない。
それはちょうど
、⼀時流⾏した
⾃然を征服するという⾔葉が、
実は思い上がりの
⾯があったことが、
今反省されているのと
同じ事情ではないだろうか
︖︖( ^-^)旦~
なーんてね︕(゚▽゚)ノ
本⽇の内容は
⼩原⼆郎さんが
⽊の魅⼒について
語った内容です!!!(´д`)
そして
⽊について唯⼀!!
学校の教科書に載っている
内容デゴワス!!!!
勝⼿に
パクりましたことを
お詫び申し上げマッスル(><)ゞ
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